告発すれば、捕縛されることはわかっていた。
だから、報告書は三枚書いて、一枚を冒険者ギルドに、もう一枚を衛兵局に送り、最後の一枚を図書館の書庫保管庫・禁書棚に自分で持って行った。
保管庫から出てきて、清々しくも埃っぽい空気が肺にいっぱいに吸い込む。
捕まれば長くなった髪を切られるかもしれない。髪は女の命と言った時代はいつの頃だったか。
「クリスタルに敬意を」
ペンダントの小さなクリスタルに口づけをして図書館を出ると、衛兵が待ち構えていた。
持ち物はほとんどない。
「クライス・リットだな」
「そうです」
返事をした瞬間には、丸太のように衛兵の太い腕で羽交い絞めにされていた。
「偽計業務妨害で逮捕する」
「不当逮捕です。裁判を」
そう言ってみたものの衛兵たちは聞いていないし、自分で歩けると言っても、捕まった猪のように私を担いで、そのまま連行された。
裁判は暴れるはずもないのに、拘束具を付けたままの状態で行われ、私の意見は聞き入れられなかった。これも予想はしていたんだけどね。
「ですから、今回の竜討伐に関しては成功したのは認めますよ。ただし、私が現地に調査しに行ったところ、致命傷は勇者たちによる攻撃ではなく、何らかの毒か呪いによるものであったとみるべきです」
「異議あり!」
ギルド長側の弁護人が声を上げているが、時間の無駄なので無視する他ない。
「だたすると、今まで、100人近くの討伐隊がいた記録を遡ると全く必要のない人材が死んでいることになりますよね。それだけじゃありません」
「裁判官! 異議あり!」
「異議を認めます」
ギルド長の弁護人が結局喋り始めてしまった。
「竜が住んでいたのは活火山です。毒があれば冒険者も被害に遭っているはずだ。しかし、なかった。今回の偉業は冒険者たちが長年の苦労をして、ようやく3週間前に結実したんです。それを後から、ごちゃごちゃと偉業の品格を落とすようなことをこの補佐官はしているんです」
「長年の苦労を理解するには、それまでの冒険者の被害を丹念に調べることにあります。火傷に異臭、さらには通常の刃物が通らないなど、過去の冒険者たちの実績を踏まえたうえで、ギルドが支援するものですよね。つまり装備の補充です」
「被告人、喋り過ぎです! 黙りなさい! 衛兵!」
「それを努力がどうだのとか、精霊の加護だのと適当な支援策を立て、全く必要のない被害まで出していたのにもかかわらず、一つも責任を負わないというのはいったいどういうことですか? 私はあくまでも自分の仕事を全うしたまでで……ちょっと! まだ私の主張は終わってませんよ。私はあくまでもギルドではなくクリスタルの信徒で……、いたいッ!」
いつの間にか私の両側に衛兵が並び、口を塞がれた。
「判決を言い渡す」
裁判長が木槌を叩いた。
「リット補佐官が仕事をしたというのは認めますが、この国ではあなたの主張は聞き入れません。日頃の行いを見ると暴れるとも限らないので拘束の上、辺境の地のギルドにて幽閉し、反省の色があれば再起させるように」
「ぶへっ……、辺境の地って?」
衛兵の手を退かして、どうにか裁判長に聞いたが、裁判長は答えなかった。
おそらく辺境にある呪われた土地だ。
毒の沼地があり、呪われた池には死体が浮かび、死者がうろついていると言われている。本当かどうかはわからないが、領民は極貧生活をしていることだけは間違いない。
私はこうして王都から追放された。
昔から、私は人の細かい部分が気になる性格だった。上司と不倫している同僚は臭いですぐにわかったし、横領している職員の指を見ただけで見破ったこともある。
だからこそクリスタルに魅せられたのだろう。
クリスタルの振動は正確だ。
魔力の影響を受ければ、微細に振動が変わる。それを古代の人が読み取り、数値で計測し始め、現在冒険者ギルドで使われている各種の能力値となった。
そもそも能力を分類するに至るまでの過程でどれだけの英知が詰まっているのか、ギルドの運営者たちは理解していない。
数値は嘘をつかないから、それを元に依頼を割り振っていけばいいし、ランクも決めればいいのに「数値よりも頑張る気持ちが大事」という考えが優先している。そうやって起こった事故が山のようにあるが、それも冒険者の勲章なのだそうだ。
新人の冒険者からすれば溜まったものではないだろう。
私の考えをわかってくれる人もいたが、おそらく王都にいる冒険者ギルド職員のほとんどが人を強くする方法がわかっていながら、自分の仕事と時間を優先している。
結果、約30年の衰退時期があった。
「おー! 掴まれ~! 揺れるぞ~!」
物思いにふけっていたら、御者の声が外から聞こえた。
拘束具を付けられている私はどこにも掴まることができずに、馬車の荷台から放り出された。
腕を拘束され丸まった私は勢いをつけて草むらをゴロゴロと転がった。ただ、拘束具が頑丈だったお陰で、額を擦りむいたくらいで済んだようだ。。
「いったい!」
砂利が口の中に入って吐き気を催す。ようやく、口の中から土を吐き出し立ち上がると、首にかけていた物がなくなっていることに気づいた。
「あれ? クリスタルのペンダントは?」
私の唯一の持ち物であるペンダントがなくなってしまった。辺りにはイネ科の草がびっしりと生えている。こんなところで小さなペンダントを探すには1週間かかるだろう。
「おいっ! 早く荷台に戻れ!」
御者から注意されても、こればかりは探さずにはいられない。クリスタルガラスにはカッティングという重要な技術が詰め込まれている。普段から使っているクリスタルでなければ色合いが違ってしまうのだ。あのクリスタルがなければ、仕事の精度が半減してしまう。
私は膝をついて必死に探した。膝は泥に埋まる。ペンダントも埋まっているだろう。
心の支えだったクリスタルを失うなんて、自分という人間がつくづく嫌になった。
ガサッ!
沼周辺に生える背の高い草の中から黒い革のコートを着た男が出てきた。黒いというのに汚れていることがわかり、ガポッという長靴の音をさせながら、近づいてきた。
帽子を被り長髪を後頭部で束ねている。生気がなく、顔は青白いのに短い髭を生やしている。無精ひげだろうか。
「これか?」
男は私のクリスタルを持っていた。
「そうです」
「ほらよ」
ペンダントを男はわざわざ首にかけてくれた。
「ありがとうございます」
私は誰だか知らない男に頭を下げた。私は心から感謝したが、男の目には光はなく、亡霊のように立ち去ってしまった。やさしさで探してくれたわけではないのか。
だとしたら、いったいどういう価値観で生きている人間なんだろう。
「何をしている!? ほら、早く乗れ!」
私はぼーっと彼が立ち去った草むらを見つめていた。ようやく御者に担ぎ上げられ、荷台に放り込まれ、赴任先へと揺られていく。
「君を檻に閉じ込めておいて、ただ飯を食べさせるよりも働かせた方が、いいだろうというのが、ギルドからの結論だ」
沼地のギルド長は髭面の老人で、太り過ぎて椅子に嵌っている。かつては上位ランクの冒険者を率いるクランマスターだったというが、今では隠居生活を送っているという。
「あまり恨まれても面倒だからでしょう?」
「随分、羽目を外したようだね」
「私はクリスタルの信徒であって、別にギルドに忠誠を誓っているわけではありませんから……」
「あまり真実に近づきすぎると嫌われるよ」
「そうかもしれませんね」
私は沼地で最低と評されるあばら家のような集合住宅の一室を与えられ、そこから冒険者ギルドに通え、とのこと。さらに半年ほどはまともに給料が出ないという。
「ギルドは、守銭奴たちの集団に成り下がったな」
竜も倒し、新たな脅威もなくなった。
これからは粛々と業務をこなしていけばいいだけなのだが、相変わらず王都では立身出世だと思っているバカな職員だらけ。癒着と賄賂が横行して、衰退が始まるのは目に見えている。
自分に与えられた部屋を開けると、机と椅子、それからベッドが目に飛び込んできた。すべて一室で完結できる部屋。寝ることくらいしか許されていないのか。
とりあえず荷物を確認し、一番質素な服を着て、一番丈夫そうな靴を履いて近くの冒険者ギルドに向かう。
泥濘だらけの道には足跡がいくつも付いていた。
冒険者ギルドの壁という壁は泥の団子でも投げつけたように汚れている。中に入れば変わるかと思ったが、床はほとんど外と変わらない。辛うじて木の板がところどころ見えているだけ。
使用している冒険者たちも靴の汚れは気にしていないらしい。サンダルの者までいる。血と泥が混じった臭いが充満していた。誰かが咳き込んでも、口をふさぐわけでもなく、空気を入れ替えるわけでもない。毒や呪いを受け入れているらしい。
毒と呪いが多い土地だとは聞いていたが、当たり前だ。
掃除をする者たちと修理をする者たちが必要だが、予算がないのか。
「どうも新しく赴任してきました。クライス・リットです」
「あ、どうぞよろしくお願いします!」
可愛らしい犬耳の娘が、対応してくれた。濃い茶色のスカートに薄茶色の服から異臭を放っているので、ギルド職員でも洗濯という概念はないようだ。
他の職員は挨拶程度。私のことは辺境に飛ばされてきた罪人くらいに思っているのか、目を合わせる者は少ない。
「とりあえず、直近の死亡者数と、依頼達成率を見せてもらえないかしら? なんの依頼が多いのかも見られると嬉しいのだけれど……」
自分の仕事は自分で見つける。ほとんどフリーの職員である私にはこれくらいしかできない。
「棚に入っています」
「ありがとう。あとは勝手にやるわ」
依頼書をまとめて入っているが、種類別にはされていなかった。私は空いている机を陣取り、調査、採集、討伐と依頼を分けていく。
この沼地では採集の依頼が多く、少なからず討伐の依頼もあるものの半分ほど失敗している。魔物相手は危険な仕事なので、病欠や怪我のため失敗が多いようだ。
「これって、復帰したりしないの?」
隣で依頼書を作成していた職員に聞いてみた。
「ああ、討伐依頼で怪我した人は、ほとんど死にますから。毒が体の中に入るともう……」
「それで、どうやって冒険者が増えていくのよ」
「ここは辺境ですよ。どこにも行き場がなくなった冒険者たちのたまり場です」
そうか。ここは合法的な処刑場だったのか。
「改善しようとした人たちはいましたけど、だいたい失敗します。お金になりませんから、予算も付きません」
「何かするのは諦めた方がいいってことね?」
「そうです」
「私、諦めるのが苦手だからなぁ」
最悪の現場に赴任させられたらしい。
「そういえば、ここってランクの試験とか初心者講習の場所とかないの?」
「あるにはありますけど……」
耳長エルフの職員が奥の方を見た。
奥、つまりギルドの裏に行ってみると、倉庫になっていて、真ん中では魔物が解体されているところだった。獣の血と内臓の臭いがする。
初心者講習の場所は解体屋に陣取られている。初心者は来るなということだろう。
解体業者は革のエプロンに血だらけの皮手袋、長靴だ。
作業をしている男たちは皆、顔が青白く沼地の草むらでクリスタルを拾ってくれた男に似ている。
「あんまり近づかない方がいいぞ。毒もあるし、呪いにもかかるかもしれない」
作業をしている男が振り返って、私に言った。
「赴任してきましたリットです。よろしくお願いします」
「ああ、俺たちは解体屋のスカベンジャーだ。なるべく仕事場には来ないでくれ。面倒ごとが増えるだけだから」
スカベンジャーとは腐肉喰らいのことだが、冒険者では、死んだ冒険者の装備をはぎ取り、埋葬する者たちのことを言う。
ガラガラと荷台に冒険者の死体が運ばれてきた。魔物と戦って死んだ者だろう。腕もなくなり、胸には爪の傷痕がくっきりついていた。
まともな靴を履いていなかったのか、つま先が泥だらけだ。
「こっちに持ってくるなよ。早いところ、衛兵に身元の確認を取ってもらえって」
「もう取ってもらいました。焼いていいですか?」
そう言って死体を運んできた男が、クリスタルを拾ってくれた黒いコートの男だった。
「あなたは……!」
「え? ああ、ペンダントの」
「あの時はありがとうございました」
「いや、たまたま落ちてきたから……。あ、それ以上近づかない方がいいよ」
近づいてお礼を言おうとしたら、断られてしまった。
「ハムートは魔女に呪われて、心臓がないんだ。そっとしておいてやってくれ」
魔物を解体しているスカベンジャーが私を止めた。
「心臓がないって、それじゃあ……」
「毒や呪いを喰らわない代わりに、成長もできない。クリスタルで見ればわかることだけどな」
そう言われて、思わず自分のペンダントを通してハムートを見てしまった。
ステータスがすべて10で止まっている。思春期の少年と同じくらいしかないということだ。スキルも何もないが、毒や呪いの耐性だけは振り切っている。
ステータスだけ見れば冒険者には向いていないけど、荷運びや死体を担いで毒の沼地を歩くにはちょうどいいから、雇われているのだそうだ。
「え? こんな人がいるなら、終わりじゃん」
「何がだ?」
「いや、冒険者たち要らなくないですか?」
「お前さん、急に何を言ってるんだ?」
「いや、だって……、え? なに、逆にどういうこと?」
「何を言ってやがる!? とにかく仕事の邪魔だから、出てってくれ」
「いや、だからその仕事が……。まぁ、いいか」
私は裏からギルドの中に入って、再び資料を読み込む。粗を探そうと思えばいくらでもあるような資料だから、確かなことは言えないが、ギルドの職員たちは気づいていないのだろうか。
「あのハムートっていう……」
「ああ、魔女に呪われた人がどうかしたの?」
依頼を掲示板に貼り終わったエルフが私を見た。
「皆、知ってて気づいてないの?」
「なにが?」
誰も気がついていないらしい。
「いや、何でもない……」
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